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小倉織の生地や袴の特徴・縞縞の風呂敷や工房織物体験 NHKイッピン

 
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小倉織の生地・帯・袴などの特徴とは・NHKイッピン紹介

NHKイッピンで「スマートで丈夫!暮らし彩る縞(しま)模様・福岡小倉織」が紹介されました。

この記事では小倉織の生地や袴などの特徴や縞縞(しましま)の風呂敷、豊前小倉織研究会・いやしの風などの小倉織りの機織り体験について調べてみました。

小倉織の特徴と歴史

小倉織は良質で純白の生綿から紡いだ「小糸」と呼ぶ綿糸を3本、または4本捻り合わせたもので織られている織物です。

起源は小倉説、信州説など諸説ありますが、江戸時代の豊前小倉藩(現在は福岡県北九州市)の特産物として知られ、縦縞を特徴としています。

江戸時代当時は破れやい生地が多かったなかで、丈夫で水につけると布地が引き締まり更に丈夫になります。

徳川家康も愛用したと言われ、家康が鷹狩りで愛用したと伝えられる狂言装束の羽織が、今も徳川美術館に保管されています。

小倉織を全国に知らしめた事件

全国的に武士の間に小倉織の袴が広がったといわれる由来は「小笠原騒動」のエピソード。

小笠原騒動とは豊前小倉藩の第5代藩主・小笠原忠苗(おがさわらただみつ)の時代に起きたもので、享和2年(1802年)の洪水被害をきっかけに、農民の怒りが爆発。

享和3年(1803年)1月に小倉城下で家老の犬甘知寛(いぬかいともひろ)の免職と減税を求めて、農民は徒党を組んで訴えました。

これで知寛は失脚して入牢、亡くなります。藩主・小笠原忠苗も一連の騒動の責任をとって、文化元年(1804年)7月20日に家督を養子の忠固(ただかた)に譲って隠居するんですね。

このとき、中老・澁田見主膳(しぶたみしゅぜん)が刺客に襲われて、槍で腰を刺されるという事件が起きます。

しかし、槍の穂先が小倉織の袴の裾をすべったため、主膳はかすり傷もありませんでした。

この槍の跡を残したのみで袴が破れていなかったという逸話が伝わり、小倉織を災難除けの袴とする武士が増えます。

また、良質で堅牢な小倉織は武士だけでなく、庶民にとっても実用性の高い日常の衣類として用いられるようになっていきました。

こうして、小倉織は嘉永年間(1848年から1854年)前後のおよそ20年間の最盛期を迎えます。

ところが、明治期に他県で小倉織を真似た織物が機械生産されるようになって衰退、350年以上続いた小倉織は昭和初期に途絶えてしまいました。

小倉織を復活させた染織家の築城則子さん

「幻の織物」とよばれた小倉織を50年ぶりに現代によみがえらせたのは一人の女性。

染織家の築城則子さんは北九州市内の骨董店で、密度のある艶やかな縞の古裂(こぎれ)に出会います。

それはしなやかで厚みがあり、濃紺の間に白、その中心に細い藍、藍の脇にブルーのグラデーションというパターンが繰り返される小倉織の美しい布でした。

その小倉織に魅せられた築城則子さんは小倉織を1984年に復元、再生し、現代の伝統工芸として蘇らせました。

「縞縞SHIMA-SHIMA(しましま)」ブランドの風呂敷

伝統ある小倉織の特徴を継承し、丈夫で美しいたて縞を活かしながら、新しい時代の「小倉織」として機械織の「縞縞SHIMA-SHIMA(しましま)」ブランドが誕生。

小倉織・縞縞の風呂敷は2010年グッドデザイン賞を受賞しました。

縞縞SHIMA-SHIMAは通販でも販売されていて、着物、帯、袴、バッグ、トートバッグ、ネクタイ、ハンカチ、風呂敷、名刺入れなどがあります。

小倉織りの機織り体験は豊前小倉織研究会・いやしの風で

小倉織りは福岡県から北九州市の地域産業資源として指定され、地元の方がその技術を伝承しています。

小倉織りの機織り体験は豊前小倉織研究会(いのちのたび博物館小倉織実演補助ボランティア)が福岡県北九州市小倉北区室町にある「室町コモン分室」で定期的に行っています。

小倉織物工房の「和布刈いやしの風」なら、常時、機織り体験ができます。

小倉織物工房は門司港一の絶景スポットである和布刈公園内にあり、機織り体験が癒し効果も高いとされることからこの名前がついているそうです。

小倉織物工房の「和布刈いやしの風」機織り体験
 

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