沖縄やちむんの歴史やマグカップ・皿・体験情報など NHKイッピン
沖縄やちむんの歴史やマグカップ・皿・体験情報など NHKイッピン
NHKイッピン「海・空・大地を器の中に 沖縄やちむん」で紹介された「沖縄の伝統的な焼き物やちむん」の歴史やマグカップ・皿などの食器、体験情報などを調べてみました。
「やちむん」とは沖縄の言葉で焼物のことを言います。やちむんはぽってりと厚い形状に力強い絵付けがなされた器や壺が特徴です。
沖縄ではおよそ6600年前にの焼物が作られたといわれます。もともと城の瓦などを主体に作られていた沖縄の焼物ですが、15世紀に朝鮮、タイ、ベトナム、日本などの陶磁器の影響を受けて、焼物としての質を高めてきた歴史があるんですね。
1616年には、薩摩から招いた朝鮮人陶工である一六、一官、三官が湧田窯(現在の那覇市泉崎)で朝鮮式技法の指導にあたり、現在のやちむんの基礎を築くことに。
さらに1682年には焼物作りの発展に積極的だった首里王府が工芸産業振興制作に乗り出します。県内に分散していた知花窯・宝口窯・湧田窯で焼物を作っていた職人達を現在の那覇市壷屋地域に統合。
焼物はこの地域で発達を遂げて「壺屋焼き(つぼややき)」と呼ばれるようになり、王府への献上品としても利用され、王府も功績を残した陶工を士族の身分階級を与えたりもしました。
しかし、明治時代に入ると明治12年(1879)に廃藩置県を断行。首里城は明け渡され、琉球王朝は幕を閉じます。これを機に、本土から安価で丈夫な磁器製品が大量に流入して壺屋焼は危機を迎えます。
しかし、日用工芸品の美を発掘する民藝運動を率いた柳宗悦をはじめ、濱田庄司、河井寛次郎などの陶芸作家の高い評価により、再注目されるようになりました。
後に人間国宝となる、金城次郎氏などの優秀な陶工が育っていったのもこの頃でした。戦後になると、各地に散っていた陶工たちが壺屋にふたたび集められますが、都市化が進むにつれ、登り窯から出る煙が公害として問題視されるようになってしまいます。
ガス窯に切り替える陶工もいましたが、昔ながらの製法にこだわった陶工は読谷村に移っていきます。それが「やちむんの里」と呼ばれる地域です。
やちむんの里には人間国宝・金城次郎氏の工房も
「やちむんの里」は那覇から車で30~40分ほどにある読谷村字座喜味にあり、19の工房が集まる地域として知られています。人間国宝である金城次郎氏の工房もあります
ここには北窯売店と読谷山窯共同売店の2つの共同売店があり、窯元、陶芸家ごとにさまざまな器類などが展示・販売されていて、沖縄の陶器の伝統・文化・歴史を感じられる場所となっています。
やちむんの里はそれぞれ独立営業しているため、営業時間・定休日は各工房によって異なります。やちむんを安く買う方法はここで直接購入すること。那覇で買うよりもリーズナブルに焼き物が購入できます。
ろくろなどの陶芸体験情報
素朴さとどっしりとした重量感に土産物としても人気が高く、陶器市も賑わいます。地元では体験教室も開かれています。
沖縄での本格的な陶芸体験情報はこちらにリストがありますので、参考にしてみてくださいね。