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江戸風鈴の歴史や特徴、作り方から篠原風鈴まるよしの絵付け製作体験

 
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江戸風鈴(ガラス風鈴・ビードロ風鈴)の歴史や特徴

ガラス風鈴やビードロ風鈴とも呼ばれる江戸風鈴の歴史や特徴、篠原風鈴本舗による復活、作り方や体験教室、人気の金魚風鈴などの通販販売店について調べてみました。

「江戸風鈴」は篠原風鈴本舗(東京都江戸川区南篠崎町)と篠原まるよし(東京都台東区台東)の2つの工房でのみ、江戸時代から続く手法で作られています。

江戸風鈴はもともと中国から渡来した風鈴がもとになっています。中国では占風鐸(せんふうたく)と呼ばれる道具で、竹林に下げて風の向きを確認したり、音色で物事の善し悪しを占うために使われていました。

日本では仏教と共に渡来した経緯から、平安、鎌倉時代には縁側に下げることで疫病神が屋敷の中に入るのを防ぐ為に使用されるようになったとか。

1700年代にはガラス製のものが出始めますが、当時は原料であるガラスが貴重だったこと、また、外国人のいる長崎でしか入手できなかったために、とても高価だったんですね。

その後、江戸時代天保年間(1831年から1845年)になって、江戸のガラス問屋である、上総屋留三郎が長崎にガラスの研究に行き、ガラスの原料を作って製品づくりの土台を築いたことによって広まり、明治にかけて最盛期を迎えます。

篠原風鈴本舗の篠原儀治氏による復活

しかし、低賃金に支えられた安価な外国製品の流入によって江戸風鈴は衰退してしまいます。それを昭和40年頃に風鈴の老舗「篠原風鈴本舗」の篠原儀治(しのはらよしはる)さんが文献にもとづいて復活させます。

ガラス風鈴を「江戸風鈴」と名づけ、江戸風鈴の名称が広まりました。江戸風鈴はもともとの名称ではなく、篠原風鈴本舗のオリジナルの商品なんですね。

篠原儀治さんから三代目にあたる孫の篠原由香利さんも活躍しています。創業当初はほとんど赤色だったのが、いまは技術が進んで透明な風鈴も作られています。

特徴的な作り方から生まれる独特の音色

江戸風鈴は型を使わず、宙に浮かせた状態でガラスを吹いて作ります。およそ1,300度の釜の中からガラスの下玉を取り出して、長いガラスの棒を使ってガラスを吹いていきます。

最後に丸く吹いたガラスの球体の一部を手作業で切断します。それが「鳴り口」と呼ばれる部分。

ガラスが切断部分がむき出しでギザギザの形状になるために、「チリン、チリン」と涼しさを感じさせる、特徴的な音が生まれます。これが300年変わらない江戸風鈴の音なんですね。

すべてが職人の手作業で、一つとして同じ音が鳴るものはありません。

絵付けからの製作体験は御徒町の篠原まるよしで

江戸風鈴の製作体験は、東京の御徒町「佐竹商店街アーケード」にある篠原まるよし風鈴でができます。日比谷線の仲御徒町駅から徒歩5分くらいのアクセスです。

完全予約制でガラス吹きからの体験と絵付けからの体験を選ぶことができます。自分で作った風鈴は持ち帰ることができます。

営業時間が変わったりするので、事前に確認しておくのがいいようです。アクセスや口コミ、連絡先はこちらのじゃらんnetで確認してみてください。

篠原まるよし風鈴の制作体験情報
 

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